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軍艦島(端島)の歴史

1862年頃の端島の図

1810年

端島で石炭を発見。
この頃の端島は大きな瀬にすぎなかった。
漁民が「磯堀」と称して採炭していた。

明治

明治20年(1887年)

5月26日

夕顔丸が長崎造船所で竣工(昭和37年3月31日社船廃止まで長崎~高島~端島間運航)

第一竪坑が開坑(44mまで開削され、1897に坑内火災で閉鎖されるまで採炭された)

明治23年(1890年)

三菱が鍋島孫六郎から端島炭坑を10万円で買収し、高島の支坑として三菱の経営となる。翌年から採炭を開始。

明治24年(1891年)

蒸留水機を設置し、各戸に飲料水配給・製塩も行う。

明治26年(1893年)

11月3日

第二竪坑の開削に着手。
三菱社によって私立(社立)尋常小学校開校式が行われる。

明治28年(1895年)

第二竪坑開坑

明治29年(1896年)

旧第三竪坑完成

明治30年(1897年)

第一回埋め立てが行われる。
第一竪坑が坑内火災を起こし、消化による水没のため廃坑となる。

明治32年(1899年)

第二回埋め立て工事

明治33年(1900年)

第三回埋め立て工事

明治34年(1901年)

第四回埋め立て工事

明治40年(1907年)

高島・端島間に海底電線が開通
第五回埋め立てが行われる。

明治44年(1911年)

第二竪坑と第三竪坑で使用していた捲揚機の動力に蒸気と電気が併用されるようになる。

大正

大正5年(1916年)

大阪朝日新聞が、端島を二本煙突の巨大な軍艦に似ていると報道。
日本最古のRCアパート30号棟完成

大正6年(1917年)

二子~端島間の海底ケーブル第一回線が敷設され、送電が開始される。

大正7年(1918年)

RC9階建アパート日給社宅建設
大正6年に敷設した海底ケーブルの送電が直流から交流へと切り替わり、動力は蒸気から電力にほぼ切り替わった。排水ポンプ等の坑内の機械のみならず、坑外にある機械工場等の動力も電力となった。

大正10年(1921年)

長崎日日新聞が軍艦土佐に似ているとして「軍艦島」と紹介した。

大正11年(1922年)

上陸桟橋(クレーン式)完成。

大正14年(1925年)

5月21日

第四竪坑完成(深さ370m)通常は排気用として使用。第二竪坑に支障がある場合はその代用として使用され、閉山まで採掘した。

大正15年(1926年)

端島の飲料水は、炭坑の製塩工場の蒸留水を使用。
蒸留水の出来高1日約340石。蒸留池7個の施設を所有していた。

昭和

昭和2年(1927年)

映画館(昭和館)開館

昭和5年(1930年)

5月

第二竪坑掘り下げ、掘削開始。深さは当時日本最深となる606mに達した。

8月

台風で西海岸が破壊される。

昭和6年(1931年)

夕顔丸が社船として運行を開始。
第六回埋め立てが行われる(ほぼ現在の面積となる)。

昭和7年(1932年)

8月

給水船三島丸進水
第三竪坑の揚炭中止

昭和8年(1933年)

1月

鉄骨製の積み込み桟橋に改造

昭和9年(1934年)

第二竪坑の掘り下げ完了(深さ636m)

昭和10年(1934年)

高島、端島共に製塩工場廃止
第三竪坑廃棄

昭和11年(1936年)

9月

端島神社建設
第二竪坑稼働開始し、主要坑として閉山まで稼働することになった。

11月

第二竪坑坑底坑道でトロリー電車運転開始

昭和12年(1935年)

20号棟の屋上に社立幼稚園開園

昭和16年(1941年)

年間生産41万1100トンの最高出炭を記録

昭和17年(1942年)

第二竪坑口で火災発生

昭和19年(1944年)

報国寮(65号棟)建設

昭和20年(1945年)

石炭積込み中の白寿丸が魚雷を受け沈没する。
高島二子発電所が米軍の爆撃を受け、第二竪坑坑道が水没

昭和22年(1947年)

公衆電話が設置される。

昭和24年(1949年)

映画「緑なき島」で端島が全国的に紹介される。

昭和28年(1953年)

高浜村立端島保育園が完成。
65号アパート屋上に面積338.25㎡の保育園が完成し、定員150人で開園。

昭和29年(1954年)

8月27日

端島ドルフィン桟橋竣工(第1回)
波高3mに耐える日本初の桟橋と言われている。

昭和30年(1955年)

高浜村端島と高島町が合併し、高島町端島となる。

昭和31年(1956年)

8月15日

9号台風により甚大な被害を受ける。
ドルフィン桟橋・南部岸壁・端島プールが破壊された。

昭和32年(1957年)

4月1日

端島小学校、端島中学校校舎全焼。端島病院、65号社宅類焼、罹災19世帯81人

10月5日

端島小学校、中学校完成

10月12日

海底水道工事完成し、それに伴い給水船 朝顔丸が廃船となる。

昭和33年(1958年)

3月8日

端島病院復旧落成

7月

端島南部プール落成水泳大会が開催される。

11月9日

端島ドルフィン桟橋(第2回)完成。

昭和34年(1959年)

9月17日

台風14号襲来。
ドルフィン桟橋・植込桟橋・護岸壁に甚大な被害。

昭和36年(1961年)

つや丸、せい丸就航。

昭和37年(1962年)

3月7日

端島ドルフィン桟橋(第3回)完成(現在も残っている)。

3月31日

夕顔丸廃船

昭和38年(1963年)

緑化運動が始まる。高島から土を運び、屋上や空き地に花壇や菜園を作った。

TV

昭和45年(1970年)

3月1日

端島小学校・中学校の体育館、格技室及び給食調理室が完成。

昭和39年(1964年)

端島公民館完成

昭和48年(1973年)

2月6日

端島で大火。木造24号全焼、31号アパート一部延焼、1名焼死、43世帯137名が被災。

昭和49年(1974年)

1月15日

端島坑閉山。閉山式挙行。

3月31日

端島支所、各施設閉所式及び端島小学校・端島中学校閉校式。

4月20日

島民の離島が完了し、無人となる。

昭和50年(1975年)

12月

端島に海上保安庁が「肥前端島灯台」を設置。

平成

平成13年(2001年)

三菱マテリアル(株)が端島を高島町に寄贈。

平成17年(2005年)

長崎市と高島町合併。長崎市高島町端島となる。

平成21年(2009年)

1月

「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として、
世界遺産暫定リストに追加記載される。

4月

一般の方の上陸が可能となる。

平成26年(2014年)

10月

高島炭鉱跡(高島北渓井坑跡、中ノ島炭坑跡、端島炭坑跡)が国指定史跡となる。

平成27年(2015年)

「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の
構成資産の一つとして世界文化遺産登録を目指す。